25章 守りに万年氷の剣
「グルル……」
山に入った途端にどうしてこの山が荒れてて、生きて帰るのが難しいのかわかる気がした。
目の前には狼。でも全然普通じゃない!
全身炎の狼とか、足と尻尾に火を纏ってる狼とか火を吹く狼とか!
私が山を登り始めてから一時間も経ってない間にそんな狼たちにに囲まれた。
『バッ!』
「ちょっと待って!」
呪文を口にする暇もなく、狼が一斉に飛び掛って来た。
こんなの避けるなんて無理っ! 私は目を瞑るくらいしか出来なかった。
「ギャウッ!」
あれ? まだ痛みがこないなんて……不思議に思った私は恐る恐る目を開いた。
すると、狼の体にあった炎は消えていた。こうしてると普通の狼なんだけどな。
『ゴンッ!』
「いったぁー。何?」
氷の割れる音。足元には砕けた氷。
群れの中で一番大きい狼が一匹近づいてきて、氷を口にくわえた。
そしてそれを飲み込んだ。え、5センチくらいあるのを丸呑み!?
『まっさかこんな子供が万年氷を持っているとはね。とりあえず礼は言っとくよ』
へふぇ!? え、狼が……喋ったぁ────!?
何で、どうして。っていうか万年氷って。疑問がぐるぐる渦巻く私の頭。
「万年氷って? というかどうして狼が」
わけわかんない。それに魔物じゃないの? 炎を吐くんだから。
『あたしらは狼みたいなちんけな生物じゃない。魔獣だ。この姿は仮のもの。
魔獣は三百年も生きていれば自然と人間共の言葉を発する事ができるようにもなる。
万年氷は氷の一族のみが作る事のできる溶ける事のない氷の事だ』
丁寧に教えてくれた狼に追加で質問したいんだけど。
魔獣? 魔物と違うの。美紀が前召喚したような奴?
「魔獣と魔物の違いって?」
でもよく私も質問してるなぁ。慣れてきたのかな? この感覚に。
『魔物は何年生きようと賢くならない。魔獣は大抵仮の姿を持ってて、それが動物と酷似してんだよ。
もっともわかりやすく言うとだな。幻想界の出身が魔獣、マコースラ界の出身が魔物だ』
ふんふん、なるほど。つまり魔獣は魔物よりすごいって事。
それと幻想界は名前だけ聞いた事あるけどマコースラ界って聞いた事ない……ような。
『で、娘。あたしらは助けられたら何か礼をする事になっている。望みは何だ?』
私、何か助けるような事したっけ? うーん、この際聞かないでおこ。食べられなさそうだし。
望み、といえば。カースさんを見つける事かな。だってそのためにここに来たんだし。
「この山にある屋敷へ行きたいんだけど」
こんな荒れた山に屋敷なんてあんまりないよね? っていうか狼にわかるのかな?
『あの屋敷か。ちょうど良い。あの男、あたしに火炎玉を盛った事の恐ろしさ、存分に味あわせてくれる。来な!』
いきなり狼が大きくなった。私の身長の五倍はある。見上げても顔が見えない。
顎しか見えない。これが本当の姿? ばかでかっ。
『ブンッ!』
「へ? わーーー!?」
宙にポイッと飛ばされて、もふっと着地。
ああもうパニクりそう。目がまわるぅ……ぎもぢわるい……うー。
『はーっはっはっは! 万年氷を得たあたしに敵うものなし!』
落ちた所は巨大化した狼の意外と柔らかい毛の中だった。布団みたい。
でも首だけ出してるから、変な気分。
狼は何だか悪役のセリフ言ってるし。テンション高いよ、軽くなってる。
風が切れる音がビュンビュン聞こえるくらいに速くて耳が痛い。
狼集団の大移動に地鳴りが起こる。私の身体がぽんぽん跳ねる。
着地場所が良かったのか体毛を掴んでれば落ちることはないけど。
『このまま突入だ! あたし以外は待機な!』
うわあ……走ってる間にもテンションがあがり続けてたんだ。
今日はよく振りまわされてるなぁ、私。おばあさんといい、狼といい。それにあの人といい。
軽く黄昏そうになっている私のことは気にもかけずに建物に突っ込んでいく。
巨狼の体は軽々と屋敷の壁を壊した。……テンションがあがると最強?
じいさんを探すこと数分。呪歌によって爆弾には火が点けられた。
ここは一度離脱すべきか。どうにも地上にじいさんはいなさそうだ。
屋敷の隅々まで見て回ったが人を拘置しておけるような場所はなかった。
それに貴族の屋敷にしては異様に狭い。せいぜい一軒家が六、収まるくらいでしかない。
山中にわざわざ居を構えるくらいだ、必要性があってのことというのは明白。
陰謀に儀式に拷問。人目を憚るようなことをする為に用意された場。
気になることがある。チェイスと魔物以外に生き物もいなかったことだ。
ほんの小さな虫ですら姿が見えないのはおかしい。
生活の臭いは家主が魔物であるならば、もとからないがそれでも食事はしているだろう。
肉食であれ、狸。人肉を貪ることもあるだろうが他にも食うものがある。
食糧の貯蔵庫があるならばその近くを根城に虫が潜んでいるものだ。
だが、それがない。耳を澄ませても魔物を全滅させた後にあって音を立てる者は俺のみ。
そのことが意味するものは、隔離された空間。そう遠くない場所に食糧を確保しているのだろう。
しかし、屋敷の辺りにはそれらしい物はなかった。となれば、足下。
地下空間があるはずだ。そして土の上に建てられた屋敷は目印に過ぎないというところだろう。
そこまで推測が立った頃には出口まで間近。この角を曲がればというところで破壊音がした。
何だ? 少なくとも、爆発じゃない。爆弾は背後から迫ってくる。しかし、音は前方から。
角を曲がった瞬間俺の得物と敵の得物がぶつかり合う。一振りの剣と鉤爪が五つ。
姿をみせたのは狼に似たもの。狼の姿に近いが、そう呼ぶには体躯がでかすぎる。
『何しやがんだてめぇ!』
魔獣か、厄介だな。何故いるかは知らないが戦いは避けられまい。もう武器が交わっている以上。
競り合いになる前に喉を短剣を投擲ていたがはじかれたらしい。軌道上はないはずの壁に短剣が刺さっている。
足で払ったのなら地面に転がっているはずだ。……障壁持ちか。小細工のできない程度には高位に属す魔獣。
飛び道具は使うだけ無駄、となれば残るは一つ。
『はっ、こざかしい。たかが人間があたしを倒そうなんざ百年早いな!』
「それはこちらの台詞だ」
斬り結んだままの膠着状態から抜け、踏み込むだけに必要な間合い分の距離をとる。
どちらが先に仕掛けるか、相手を窺って──という時に間抜けな声があがった。
「ちょ、ちょっとストップ! 狼!」
俺に背を向けて腕を振り上げ静止を呼びかける声とその黒髪には覚えがあった。
しかし、どういう事だ? 虫を殺す事すら躊躇いそうな奴が魔獣を操れるはずがないんだが。
『なんだ、知り合いか? ちっ』
むかつく魔獣だがもう時間がない。戦わずにすむならそれに越したことはなく、俺は剣を鞘に戻した。
いい加減、導火線も保たないだろう。
『なんだあ? 止めるのかよ。白けるなおい』
「屋敷が全壊する。逃げろ」
「え、爆弾でもあるの?」
なんでこいつ如きが知ってる。貴族の間でもあまり話に上らない物を。
どこぞの箱入り娘かと放置したが……兵器に明るい一門の出か?
まあ、今は置いておくとするが。じいさんのこれとは無関係だ。
『フッ……爆弾? そんなものごときに臆するあたしではないわ。あいつはどこだ!』
このバカは爆弾が十あれば砦を落とせるという史実を知らないのか。……知らないだろうな、魔獣は。
歴史は人間のものだから仕方ないにしろ、連鎖反応の怖ろしさを目の当たりにしていないのか。
「勝手にしろ」
魔獣は高い防御力と攻撃力がある。障壁を自然展開しているほどであればそんな自信もつくだろう。
だが、こいつは。対峙中割り込んでほどに戦闘のことを知らない。それはそれで問題はないが。
「お前は屋敷から出ろ」
一般人はとりあえず保護してやれとのことだ。俺は滅多にしない義務を果たすことにした。
「えっ?」
いきなり首辺りを掴まれた、と思ったら。視界が九十度回っていた。
え、これに似たようなことをつい前にもやられたんだけど。横の狼に。
今、私……投げられたの? えー、どうなってるのちょっと。
狼ならまだわかるけど、人間が人間を投げれるものなの? 馬鹿力って奴?
体当たりでぶち破られた壁穴を抜けても落下は終わらない。
見晴らし良かったもんねえ、ここ。崖っぷちに建てられてたからお屋敷。
勢いのつきすぎで崖の下にひゅーっとなことに。段がもう三つはあったよね。
いつになったら終わるんだろこれ、と思ったところで轟きがした。爆発?
狼とあの人、大丈夫かな? いやそれより私も結構やばかったり。
あ、そうだ! こんな時こそ魔法だよね。確かちょうどいい呪文があった。
「雲の色よ、我に加護を」
唱えてみると一瞬ぴたっと停止したあと、ゆっくりと落ちていくようになった。
そのおかげで怪我もせずに着地できた。どうなったんだろ、あのお屋敷。
「もしかして」
屋敷が燃えてる? 風向きは……こっち!
じゃあ、狼とあの人は今頃。
「あれ?」
何もしてないのに岩が、足場がグラついた! え、この下はいったいどうなってるの?
膝立ち歩きでも三歩で辿りつく崖の端から下界を覗いた私は叫ばずにいられなかった。
「ひゃぁ──!?」
何これ。真下にあるのは暗くてよくわからないけど多分、森!
左にも右にも動けない。へたりこんじゃって、立とうとしても立てない。
「腰が抜けちゃった……」
これはちょっと。暫く時間がたたなきゃ動けそうもない。
「おい」
「ん?」
人の声。振り向くと、いたのはさっき私を投げた。
「もう少し遠くまで投げておくんだったな……だがここまで来れば十分か」
「え……」
計算して飛ばしたのぉ!? だいたい何がいいって。
断崖絶壁って言葉がよく似合いそうな此処の、何処が!
「死にたくなければそこから一歩たりとも動くな」
それだけ言うとその人は踏み込んで跳んだ。途中崖を蹴ることもなく一足で頂上まで。
「ちょ、ちょっと!?」
ほわー、なんて脚力。私じゃ到底昇れないような高さまで跳ぶなんて。
ん、待ってよ。考えてもみれば、棒高跳びの選手よりもすごいんじゃ。
って今はそんなこと考えてる場合でもないよ。この状況をなんとかしなきゃ。
こんなすぐにも崩壊しそうな足場、誰かが助けにきてくれるわけでもないし。
『……』
ふと目の前を動物が横切って私はびくりとした。野犬?
でも襲ってきそうな雰囲気はなかった。むしろ何かに怯えているかのように私を見つめてる。
いや、私っていうよりも私の後ろ?
野犬が歩いてきたほうへ顔を向けると森に入る時に見た生物がいた。
私は呆然と、見上げた。大きい、あんなのから逃げれるわけない。
だめ、体が動かない。逃げなかったら確実に殺される。死にたくないのに、動けない。
『キシャァァァ!』
無情にも鋭い爪が振りかざされる。狙いは私へと、弧を描いて。それは何故かゆっくりと感じられた。
頭が何も考えることができない。死にたくない、としか。
「やめて……やだ……いや。いや──!」
叫ぶと轟音と閃光が起きた。暴風が叩く。
まただ。また、言ってもないのに。なんで?
雷が消え去った後、もうあの生物は黒焦げ。もう、動くことはない。
動けるはずがない。あれを受けてまだ活動できる存在なんていない。
拒絶した対象を必ず滅ぼす魔法だから。
そして魔法の衝撃から、足場の崩壊が始まった。
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